9月16日緒方三郎惟栄(これよし)を顕彰する会で今年実施する現地研修の下見に行ってきました。
高千穂迄約70キロ1時間半の行程です。高千穂ではコミュニティセンターの中にある歴史民俗資料館を尋ねました。 ここでは高千穂の歴史がパネルで展示されています。目指す高千穂太郎のいわれも記載されておりました。 950年ごろ大神大太惟元の長男政次を家系の絶えた三田井氏が養子に迎え、高千穂太郎と名乗ったものだそうです。 以来安土桃山時代まで高千穂太郎の子孫が高千穂を支配しました。歴史民俗資料館の見学ののち高千穂太郎のお墓に行きました。 高千穂太郎の墓は向山の一角にあり付近はきれいに整地されておりました。 連休のさなかで観光客が多く昼食をとるのも順番待ちの状況でした。 高千穂神社に行こうとしたのですが、駐車場が満杯で入れませんでした。 帰りは道を間違えて熊本県山都町方面に出て、それから高森町を経由して帰りました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by hirose580
| 2018-09-19 08:04
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緒方三郎惟栄を顕彰する会の第9回の定期総会を5月20日開催しました。
総会に引き続き講演会も開催することとして、市教育委員会の後援を取り、音声端末で放送をし、新聞折り込みで講演会の開催をPRしました。おかげで当日は多数の参加者があり、主催者としては大変ありがたく思いました。 ちなみに総会の出席会員は新加入の3名の方も含めて41名で、その後の講演会の時には57名となりました。 講演会では大分市教育委員会の前特別顧問玉永先生から「源氏の橋頭堡豊後国」と題して源平合戦のいきさつからその後の移り変わりなど詳しく資料に基づいてお話がありました。 勿論我らの三郎惟栄惟栄が活躍した状況とその後の没落まで詳しいお話で、その後大友氏の豊後国入部とその後の大神系緒方一族を婚姻関係などを通じて大友陣営に取り込んでいった様を説明されました。 総じてパワーポイントによる資料が多くて説明する時間が足りないというようなことで、まだまだお話を聞きたいところでしたが、予定の1時間半を過ぎて2時間を超過するほどの熱演でした。 先生大変ありがとうございました。あと2時間ぐらいあればさらに十分な講演が出来たのではなかろうかと思います。 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2017-05-21 21:12
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菅生石仏に行ってきました。近くまで行く用事があったので立ち寄ってみました。
1年ばかりかけて覆い屋などを作り替え、仏像も苔などを取り除く修復作業をしたばかりです。その間拝観などはできない状況でした。 平安時代の末期豊後武士団の棟梁緒方三郎惟栄などによって作られたといわれています。 仏像の完成度から臼杵石仏などと同じように京の仏師が来て彫ったのではないかと思われます。 国の史跡と国の重要文化財に指定され、向かって左から千手観音、薬師如来、阿弥陀如来、十一面観音、毘沙門天の仏様が並んでいます。 そのうち、如来様と観音様4体は、裳懸け座のうえで胡坐をかいて座る結跏趺坐(けっかふざ)の状態で、毘沙門天だけが立っています。 素晴らしい仏様たちですが、近頃の落雷で完成したばかりの覆い屋が、一部剥がれ応急的にシートで覆ってありました。照明なども落雷でショートしてしまい、点灯しなくなっていました。 一日も早く元通りに復旧することを願って帰途につきました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2016-09-10 06:40
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3月13日公民館ホールで講演会を開催しました。
今年は岡藩の歴史として「初代藩主中川秀成の戦い―佐賀関合戦を読む」と題して竹田市立歴史資料館の工藤心平学芸員が講演をしてくれました。 中川は慶長5年の関ケ原の戦いの時東軍の徳川家康についていたのも拘らず、家臣で元大友吉統(よしむね)の家来であった田原紹忍(じょうにん)と宗像掃部(かもん)の二人が示し合わせて、大友吉統に味方し、あろうことか中川家の旗印を立てて戦ったことから、これを征伐に来た中津城主の黒田官兵衛は中川は西軍についたと家康に報告したために、大問題となったことによるものです。 したがって、そうではなく家康の味方であるという証明をするために、石田三成の親せきで臼杵城主であった大田飛騨の守がこもる臼杵城を攻め、特に佐賀関の合戦では岡藩の重臣が多く戦死してしまうことになり敗北しました。 しかし、その結果家康にもこのことが伝わり、味方であるということが確認され、所領安堵されたということです。 岡藩にとっては多大な犠牲の上に所領安堵ということになったわけですが、もともと黒田官兵衛が中川は西軍についたと家康に注進したことからで、それ以来明治2年和解が成立するまでの270年間黒田家と中川家は不仲であったということです。 大変面白いお話で2時間が瞬く間に立ってしまいました。 ![]() ![]() ▲
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| 2016-03-15 09:46
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10月4日の日曜日、朝公民館に集合してマイクロバスで臼杵に現地研修に行きました。
参加者は23名で、臼杵観光交流プラザに9時半に到着。早速臼杵市歴史資料館菊田館長から「緒方三郎惟栄と大神氏」と題して講演をしていただきました。 先生のお話は、平安から鎌倉にかけて末法思想の世の中で、全国的にも造寺・造佛が盛んに行われ、豊後の国にあっては、大神一族の文化的業績として豊後磨崖仏の造顕があります。 臼杵石仏がその代表的なものですが、そのほか大野川流域の菅尾石仏、犬飼石仏、宮迫西・東石仏など、大分川流域の石仏、国東半島の熊野磨崖仏に代表される磨崖仏などたくさんの磨崖仏が彫られています。などといったお話を聞きました。その後臼杵城に上り臼杵石仏に行きました。 臼杵石仏は、平成7年に磨崖仏としては全国で初めてそのほとんどが国宝に指定されています。 石仏のガイドさんから詳しい説明を聞きながら、すべての石仏を見て回りました。 大神一族が平安から鎌倉の時代、都から仏師を呼んでこのような仏を彫らせたと考えると、その財力と行動力に頭が下がる思いでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2015-10-09 22:46
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5月9日土曜日講演会と定期総会を開催しました。近年定期総会だけですと時間がかからずわずか20分ぐらいで終わることから同時に講演会を開催することにしています。
今年は県立先哲史料館の館長先生が講師をやってくださることになりました。 僅かの人数では申し訳ないので新聞折り込みチラシを入れて宣伝することにしました。 同時に市の音声端末で町内全域に2回(7日と8日)放送をしてもらいました。 おかげさまで当日は会員39名一般26名の65名の参加がありました。 予定していた研修資料が足らず急遽民俗資料館で足らない分を印刷して間に合わせました。 お話は「豊後国志編さんと田能村竹田」と題して田能村竹田が南画のみならず漢詩にも大変造詣が深く、廣瀬淡窓との交流や唐橋世濟に師事して漢詩南画の勉強に励んだこと、豊後国志の編纂を岡藩が命じられて唐橋世濟が中心となり小藩分立の豊後国中をくまなく歩いて調査したことなど、大変興味深いお話でした。 その後総会を開催して27年度事業計画などを協議しました。 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2015-05-11 20:33
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4月18日4月第3土曜日は緒方町郷土文化財研究会主催の緒方三郎惟栄の慰霊祭がある日です。
今年も事務局長にお願いして緒方三郎顕彰会として参加させてもらいました。 式典は予定の11時よりも若干遅れて始まりました。神官の祝詞奏上から会長、緒方一族代表、緒方支所長、上自在区長の玉串奉奠がありその後緒方三郎顕彰会の玉串を捧げました。 今年は会食の用意もしてあったとかで、私は1時からの用事があり帰りましたが、わざわざお弁当を自宅まで届けていただき、その上研究会の会長からお礼の電話までしていただき本当に恐縮しました。 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2015-04-20 15:25
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3月8日緒方公民館ホールで緒方三郎惟栄講演会を開催しました。
今年で6回目の講演会です。今年は豊後大野市民俗資料館の豊田さんから「岡藩の大名墓」と題して講演をしていただきました。 九州の各藩の大名墓などの事例も交えて岡藩の大名墓の特異な点についていろいろとお話がありました。 岡藩では儒教様式の大名墓があります。 前に碑文があり後ろに馬鬣封(ばりょうほう)と呼ばれる跳び箱のようなかまぼこ型の大きな石が据えられています。 三代藩主中川久清公が大船山の中腹に墓地を作りましたが、これが儒教様式の墓です。 その後8代藩主の久貞公も同じような儒教様式の墓を小富士山に作っており、そのほかにも奥方や家臣などの墓もそれにならって儒教様式の墓を作っています。 そのほか久貞公に家老として仕えた井上主水左衛門並古(いのうえもんどさえもんなみふる)のお墓、これは朝地にありますが、亀趺碑(きふひ)といって亀の甲羅の部分に碑が乗っているものなど、いろいろ面白いお話でした。 ![]() ![]() ▲
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| 2015-03-10 11:04
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今年の現地研修は豊前の緒方城と宇留津城それに中津城の官兵衛資料館に行くことにし、事前に現地下見などを行ってきました。
参加者は今年は農繁期の後に日にちを設定したので多いと思っておりましたところ、暇になればなったで近所の皆さんとの旅行やお祭りなどイベントが盛り沢山でかえって参加者は減少し、最終的には16名の参加となりました。 朝8時マイクロバスに乗り出発です。途中サービスエリアで休憩をしていきました。 最初は上毛町の歴史民俗資料館。ここでは学芸員のS氏に説明をお願いしておりましたので、早速中世の山城やそれ以前からの様々な遺跡のお話をしていただきました。 その後緒方城址に行き、現在残っている外側の堀や土塁など実際に見て確認しました。 この時代のお城は、城というより館といった方がいいようなもので、この城も最終的には天正15年(1587年)黒田如水・長政父子によって制圧され、緒方城主緒方帯刀とその子供刑部允(ぎょうぶのじょう)は滅ぼされ、落城したものです。 ついで築上町の宇留津城に行きました。この城は緒方三郎惟栄が豊前を治める拠点の城で元暦年間(1184年~1185年)築城し、加来次郎が城主となり代々受け継がれてきたものです。 天正14年豊臣秀吉の九州征伐で、その先遣隊の黒田官兵衛孝高(よしたか)によって落城したといわれています。 かつて周りは沼に囲まれていたそうですが、今は埋め立てられて宅地となり、全く何も残っておりません。 ただ宇留津城の記念碑があるのみです。 昼食の後官兵衛資料館でビデオなどを見て帰途につきました。 雨の1日でしたが、それなりに結構面白い研修会でした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2014-11-12 10:33
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9月7日敬老会の日ですが豊前緒方城と宇留津城に行ってきました。
前回は山香の緒方三郎惟栄の祠(緒方大明神)に立ち寄りましたが、時間的な制約から山香には寄らず直接豊前に行くことになったからです。 8時に緒方を出発して一路豊前を目指します。 途中別府湾SAに立ち寄り休憩して、中津の道の駅春夏秋冬(ひととせ)でトイレ休憩、その後築上郡上毛町の歴史民俗資料館と緒方城址に行きました。それから築上町の宇留津城址に行きました。 ここには宇留津城址の碑の横に須佐神社があります。この神社の参道は海に向かっています。 その後綱敷天満宮に立ち寄りましたが、ここも海からの道が参道になっています。県社濱宮綱敷天満宮と書いた碑が立っていました。格式の高い天満宮のようです。 中津市に行って中津城と官兵衛資料館に立ち寄りました。豊前では官兵衛よりも官兵衛に謀殺された宇都宮鎮房の人気が高く、今度NHKの大河ドラマに宇都宮鎮房が登場するという話でもちきりでした。 その後昼食会場にと考えた、はも料理がおいしいと評判の鬼太郎に行って官兵衛御膳をいただきました。 はもシュウマイとはもカツが付いたおいしい料理でした。満足して帰りました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2014-09-08 18:13
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