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山城の研究

中世山城は各地にあり、険阻な山に作られた城で、防御しやすく要害の地に作られています。緒方町には小牧城(野尻)高尾城(軸丸),烏嶽城(中野)などがあります。

これらの城は土塁をめぐらせたなかに本陣があり、虎口(こぐち)と呼ばれる出入り口はかぎ型に曲がって小さく、一時に少人数しか通れないような仕組みにしています。

そのまわりの曲輪(くるわ)と呼ばれる広い場所、さらにその周りを土塁や横堀で守り、さらに畝状の空掘を張り巡らして攻撃されても簡単には落とせないような仕組みになっています。

これら山城は近世の城と違い石垣はなく、すべて土を削って平場を作ったり、その土で土塁を作ったり、空掘を掘ったりしたもので自然の険阻な地形の利用とあいまって難攻不落の城になっています。

豊後大野市の中で特徴のある2つの山城を現地に見に行きました。
1つは朝地の一万田氏の作ったといわれる小牟礼城、もう1つは天正14年(1568年)の豊薩戦争で島津軍が日向から侵攻した時に使ったといわれる松尾城です。

小牟礼城は虎口が幾重にも切り戻されて簡単には中には侵入されない構造となっており、これは古文書などの記述はありませんが、どうやら後世の岡藩の中川公が一部を改変したのではないかと考えられています。

松尾城は島津軍1万余騎が大友氏との戦争に備えて築いたもので物見台である頂上からは東側に臼杵の丹生島城、北側に大分の鶴ヶ城、西に竹田の岡城方面ににらみを利かせる場所であったといわれています。

島津軍はすべて物資は現地調達であり、退却するときには近隣のの社寺をすべて焼き払い、たくさんの住民を薩摩まで拉致していったということです。

いつの時代でも一番悲惨なのは農民など戦場となった場所の住民です。
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by hirose580 | 2009-01-25 22:34 | その他 | Trackback | Comments(3)

21年度支部総会

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1月21日支部総会のため朝9時集合してバスに乗って杵築市に行きました。
杵築市は江戸時代松平のお殿様が統治していたところで3万2千石の城下町です。
北台と南台に武家屋敷があり、台地の下は町民の町です。
城下町資料館には江戸時代のさまざまなものが展示されており、見ごたえがあります。また、終戦時の外務大臣で戦艦ミズーリでの降伏調印式に出席した重光葵の出身地でもあります。
したがって重光葵の資料など沢山展示してありました。
その後市内散策をして次に日出町のストーンペインティングミュージアム「石ころたちの動物園」に行きました。
どこにでもある石ころにその形から動物の姿を描いています。
大変面白いところでした。
その後近くの回天神社に行き、ここではお願いしていた観光ボランティアの方に説明をしていただきました。
回天は人間魚雷で、戦争末期に考えられた兵器です。一人乗りの特攻魚雷です。
終戦間際の昭和20年4月大神突撃隊として設立され、終戦まで毎日特攻の訓練をしていたそうです。
幸い大神基地から実際に出撃することはなく戦争終結と同時に解隊されました。
毎年4月25日を例祭の日と定め、神事が行われており、3年ごとに大祭が行われることになっています。
見学後ホテルで今日の主目的である総会をしました。
夜は宴会で楽しい会となりました。
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by hirose580 | 2009-01-24 19:54 | パソコン | Trackback | Comments(0)

大野川流域の摩崖佛研修

大野川上流域にはたくさんの摩崖佛があります。
過日、民俗資料館の教室で豊後大野市の摩崖佛現地研修に行ってきました。
9万年前の阿蘇4期噴火活動による阿蘇溶結凝灰岩は、仏像などを彫るのに適した堅さであり、豊後大神氏の時代に建立されたといわれています。
緒方町には国指定史跡である緒方宮迫東・西石佛があり、東石仏は中尊は大日如来で右に不動明王左に持国天が立っています。
中尊の後壁には船形光背が朱色で描かれ、不動明王と持国天の後壁には火炎光が描かれています。
西石仏は阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来の三体が並列で彫られていて、いずれも厚肉彫りで三如来は方形の裳懸座(もかけざ)に結跏趺坐し、背後に両肩にくびれのある挙身光背が線刻されています。
これらの摩崖佛は平安後期から鎌倉にかけて作られたものだということです。
その後、瑞光庵摩崖佛に行きました。
こちらは不動明王で、怒髪天を突き、両目を見開き、大きな口大きな耳で右手に剣、左手に索を持っています。
この像は大変ユーモラスな表情であり、造立した年代は江戸前期であろうといわれています。
最後に三重町菅尾の菅尾石仏に行きました。
こちらは幅9m天地約4mの石龕(がん)を穿ち5体の仏像が刻出されています。
千手観音、薬師如来、阿弥陀如来、十一面観音が結跏趺坐し、右端に毘沙門天が付き添う形で彫られています。
この摩崖佛が一番端正な容姿で各像とも奥行き深く丸みのある円満相に刻まれており、気品があります。
そのほか犬飼石仏や千歳の大迫摩崖佛、それに朝地の普光寺摩崖佛など大野川上流域にはたくさんの摩崖佛がありますが今回は時間の関係で全部は行ませんでした。
しかし、これほどの摩崖佛があることは大変誇らしい気持ちになりました。
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by hirose580 | 2009-01-14 14:13 | その他 | Trackback | Comments(0)