<   2009年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

いのしし

猪が田んぼに出てきて土の中のミミズを食べに来ています。
田んぼ一面掘り返して土の中を捜しています。
私の田んぼは被害のあった田んぼのすぐ上の段で、今も里芋が植わっていますが、こちらには全く寄り付こうともしておりません。
私の田んぼは夏から10月の稲の収穫の時まで、電気柵を張り巡らしていました。
収穫の時期が過ぎたら、電気柵は取り外して家に持って帰り、今は全く何も猪の障害物はありません。
それでも夏の間の電気柵の記憶があるのでしょうか全く寄り付こうともしていないのです。
猪の記憶の良さには感心しますね。
b0044440_20344857.jpg
b0044440_2035154.jpg
b0044440_20353481.jpg
b0044440_20355958.jpg

[PR]
by hirose580 | 2009-03-15 20:34 | 農業 | Trackback | Comments(2)

公民館活動閉級式

過日家内の民踊の発表会があり公民館の閉級式に出かけました。
なんでも踊りはすぐ忘れるので、ビデオにとってあとから振り付けなどを確認するためだそうで、いつもビデオ係をさせられています。
公民館活動の一年の集大成ですから書道、俳画、パッチワーク、竹かご作品、陶芸などたくさんの作品も展示してありました。
大変すばらしい作品ばかりでじっくり鑑賞させていただきました。
近頃は農業も機械化されてかつて三ちゃん農業(じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん)といわれていましたが、今では一ちゃん農業(じいちゃん)で、暇が多く、余暇の有効活用として公民館活動がこんなに盛んになったのではないかと愚考します。
長寿社会ですから年をとっても元気に、趣味を大切にすることは大変いいことではないでしょうか
b0044440_11231855.jpg
b0044440_11233360.jpg
b0044440_11235889.jpg
b0044440_11241357.jpg
b0044440_11243039.jpg
b0044440_11244746.jpg
b0044440_1125777.jpg

[PR]
by hirose580 | 2009-03-08 11:26 | 自治会活動 | Trackback | Comments(2)

大野川の水運

豊後岡藩では参勤交代の際には陸路犬飼まで行き、そこから船で大野川を下り鶴崎(三佐)まで行っていました。
犬飼港は年貢米の積み出しや参勤交代などで、大野直入地域の人と物の集積地として商人などが集まり大変にぎわったそうです。
三代藩主中川久清公は、大野川の上流まで水運を開く願望がありましたが、途中向野村は稲葉藩の領地でここだけ両岸が稲葉藩で通ることができません。
臼杵の稲葉藩と通舟交渉をしましたが稲葉藩の拒絶でとん挫しました。
明治維新の廃藩置県によりようやくその障害は取り除かれ、竹田から大分の三佐まで水運通舟事業を行う機運が高まってきました。
明治5年、大野直入の大庄屋だった名士各位が竹田町に集まり協議し、竹田から沈堕の滝までを「上ミ川」、沈堕から犬飼までを「下モ川」工区として舟道を築きました。
「上ミ川」工区で最大の難所は蝙蝠の滝で落差10mあります。
ここでは船を通すことができず滝を迂回するため岩盤を掘削して山中にう回路を作り舟路を作ったそうです。この舟路は大分県の近代化遺産として平成9年に県指定史跡になっています。
このように大変繁盛した大野川水運も、やがて鉄道が大正13年竹田まで開通すると消滅したといいます。
b0044440_10135718.jpg

今も残る犬飼港の船着き場の石畳
b0044440_10142064.jpg

三重川と大野川の合流点にあった細長港の石碑
b0044440_10144199.jpg

大野川通船碑
b0044440_1015515.jpg

蝙蝠の滝
[PR]
by hirose580 | 2009-03-05 10:06 | その他 | Trackback | Comments(0)